量子理論の近藤ネックレスを初めて実現

量子理論の近藤ネックレスを初めて実現

量子もつれの機能材料化に新たな道

2025-1-31自然科学系
理学研究科教授萩原 政幸

研究成果のポイント

  • 独自の高度設計材料で近藤ネックレスの実現に成功
  • 電子スピンが創り出す量子もつれを観測
  • 磁場による結合制御を解明し、スイッチング機能を発見

概要

量子物理学の重要な理論モデルである「近藤ネックレス」が、実験的に初めて現実の物質系で再現されました。このモデルは、近藤効果に基づく「近藤格子」を簡略化し、スピンの自由度に焦点を当てたものです。従来は理論的な議論に留まっていたこのモデルを、有機物と無機物の利点を融合させた独自のハイブリッド材料で実現しました。

大阪公立大学大学院理学研究科の山口 博則准教授、冨永 悠大学院生(博士前期課程2年)、工学研究科の木村 健太准教授、大阪大学大学院理学研究科の木田 孝則助教、川上 貴資助教、萩原 政幸教授、防衛大学校の荒木 幸治講師、および日本大学の岩﨑 義己助手らの研究グループは、有機ラジカルとコバルトを組み合わせた有機無機ハイブリッド磁性材料を用い、ネックレス状のスピン構造を設計。量子力学的な特性を示す近藤ネックレスモデルを実験的に実現しました。さらに、磁場を用いてネックレスの結合を制御できる現象を発見。このスイッチング機能は、量子コンピューティングスピントロニクス分野での応用の可能性が考えられます。本研究結果は、量子物性の研究に新たな視点を提供し、次世代量子技術の基盤となる重要な一歩です。

本研究成果は、2025年1月31日(日本時間)に国際学術誌「Physical Review Research」にオンライン掲載されました。

20250131_1_0.png

研究の背景

現代物性物理学の主軸の一つである近藤格子系では、金属中の伝導電子と局在スピンの相関がベースとなり、重い電子挙動や量子臨界現象、非従来型超伝導といった特異な量子物性が生み出されます。1977年にセバスチャン・ドニアック博士によって提唱された近藤ネックレスモデルは、電子が持つスピンの自由度に絞って簡略化したものです。新たな量子相の発現やバンド構造制御の可能性を探る重要な量子モデルとして高い関心が寄せられてきました。しかし、その実験的実現は長年の課題として残されていました。

研究の内容

本研究グループは、これまでに有機物の多様性と金属元素の豊富な磁気的自由度を融合させた大規模材料プラットフォーム(V-QOM)の開拓を進めてきました。その数十万パターンに及ぶ設計性を駆使し、本研究において有機ラジカル(フェルダジルラジカル)とコバルト(Co)を組み合わせた新たな金属錯体の合成に成功しました。図1に示すように、有機ラジカルをCo元素に配位させ、さらに五つの水分子で取り囲むことで6配位の八面体構造を創り出し安定化させています。これが結晶中で積層構造を形成し、対応するスピンとその結合を取り出すと、有機ラジカルによる「鎖」とCoによる「飾り」とで近藤ネックレスが形成されます。磁化、比熱、電子スピン共鳴の測定結果に対して、数値解析を行った結果、理論的に予想されていた量子もつれ状態が発現していることを明らかにしました。さらに、Co元素特有の磁気異方性に起因して、磁場中で飾り部分の結合が分離し、自由なスピンが出現する特異な量子臨界現象を観測しました(図2)。

20250131_1_1.png

図1. 本研究で合成した新規金属錯体[Co(p-Py-V)(H2O)5]・2NO3の結晶構造とスピン自由度が創り出す近藤ネックレス。

20250131_1_2.png

図2. 近藤ネックレスにおける量子もつれ状態と磁場による量子臨界現象の概略図

期待される効果・今後の展開

本研究は、有機物の設計自由度と無機物の多様な機能特性を融合させた独自のハイブリッド材料が、従来では実現困難だった新しい量子物質の設計を可能にすることを示しました。基礎学術的には、重い電子挙動や量子臨界現象、非従来型超伝導など特異な量子物性における磁場応答の新たな知見を提供します。特に、磁場によるスイッチング機能は量子多体効果の制御を可能にし、量子コンピューティングやスピントロニクスなどの次世代技術の革新に寄与する重要なステップとなることが期待されます。

特記事項

【論文情報】
【発表雑誌】Physical Review Research
【論 文 名】Realization of a spin-1/2 Kondo necklace model with magnetic field-induced coupling switch
【著  者】Hironori Yamaguchi, Yu Tominaga, Takanori Kida, Koji Araki, Takashi Kawakami, Yoshiki Iwasaki, Kenta Kimura, and Masayuki Hagiwara
【 DOI 】10.1103/PhysRevResearch.7.L012023

本研究の一部は、岩谷直治記念財団、科学研究費助成事業(科研費)(23K13065、24K00575)及び東京大学物性研究所共同利用プログラムの支援の下、大阪大学大学院理学研究科附属先端強磁場科学研究センターで行われました。

用語説明

近藤ネックレス

電子のスピンがネックレス状に互いに強く結びついた状態を理論的に説明する量子物理学のモデル。

量子もつれ

複数の量子が互いに絡み合い、個々の状態が独立して存在できない特別な状態。量子力学の非局所性を示す典型的な現象で、量子通信や量子暗号、量子コンピューティングにおいて、情報の伝達や処理の新しい方法を可能にする。

近藤効果

金属中の伝導電子が局在スピンと相互作用することで生じる量子的な現象。金属中の磁性や電子状態に大きな影響を与える。初めて理論的に説明した近藤淳博士の名を冠して近藤効果と呼ばれている。

近藤格子

局在スピンと伝導電子が相互作用することで生じる物理現象を記述する模型。伝導電子は局在スピンと磁気的に結合すると同時に、局在スピン間に働く相互作用を媒介する。

有機ラジカル

不対電子を持つ有機分子。通常は高い反応性を示すが、化学的に安定化させることで有機磁性体の形成が可能になる。

量子コンピューティング

従来のコンピュータの枠を超え、量子力学の特性を活用して問題を解決する技術。特に、量子ビットの重ね合わせや、もつれを用いて超高速な計算が可能となり、医薬品設計やAIの進化に革新をもたらすと期待されている。

スピントロニクス

電子の磁気的な性質を担うスピン自由度を活用する新しい技術分野。エネルギー効率に優れた次世代のメモリやデバイスの実現が期待されている。

量子臨界現象

量子相転移は、絶対零度で温度とは異なる要因によって引き起こされる相転移で、量子力学的な揺らぎがその起源となる。この量子相転移が起こる近傍で観測される特異な現象は量子臨界現象と呼ばれる。量子物性の機能材料化を目指す上で重要な研究対象となる。